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2011.03.23 20:33

助けあいジャパン発進

3月22日15時「助けあいジャパン」サイトが無事公開されました。

助けあいジャパン」は、民と官のはじめての連携によってうまれました。被災した方々の状況をできるだけ正確に伝えていくために内閣官房震災ボランティア連携室と連携しインターネットを通して広くみなさまに情報提供をしていく民間ボランティアプロジェクトです。

ご存知の通り、今回の震災は神戸や新潟と比較しても「世界最大級M 9.0」「広範囲」「つなみ」「原子力」「集落の点在」「高齢者多数」など多くの特徴をもっています。だからこそ、情報の集約と広域地図情報希望の需要と供給のマッチングが必要でした。このサイトおよび、プロジェクトによりひとつでも多くの命が助かるよう役立ってくれることを願います。

以下は、ボクの備忘録、記録です。宣言であり、お願いであるかもしれません。白状しますと、神戸の時も新潟の時も、どこか遠くに居続けた自分に気付きます。そんなボクです。書くか書かないか悩みました。本来ならば記憶の底にひっそりとしまっておくような事柄です。しかし、これからボランティアに行こうとしている方々、そして自分に何か出来ることはないのかと模索している方々へ、少しでもお役に立ち、ヒントにつながることができればと想い、書かせていただきました。

できあがるまでの実録

3月11日14時46分、移転したばかりの麻布十番のビルの八階でした。間断なくビルを揺らす余震と状況が掴めぬまま、ボクは二ヶ月ものあいだ企画していた展示会とトークショーの中止を緊急決定し、ご招待させていただいた方々への連絡に追われることになりました。

そこに友人の佐藤尚之さん(以下さとなお)からtwitterのダイレクトメールで連絡が。

@satonao310:「今内閣に自主提案に来ています。もしかしたら大変なプロジェクトが始まるかもしれない。その時は助けてくれますか?」

@junyaishikawa:「もちろん」

物資同様に必要なのが的確で需要と供給がマッチングした情報との判断が下され、プロジェクトにGOサインがすぐさま出ました。そうして、翌日から「助けあいジャパン」内閣官房震災ボランティア連携室と協働したボランティアによる救援情報を支援していくプロジェクトが決定しました。経緯の詳細は「さなメモ/助けあいジャパン」に譲るとして、ボクにとっては(いや、日本、世界にとっても)何から何まではじめてのプロジェクトがはじまったのです。

まずは、民と官のはじめての連携「内閣官房震災ボランティア連携室」の立ち上げです。さとなおから入って来る情報をキャッチアップし、要件定義をしていきます。ボクの教え子(2004〜2010大学コンソーシアム京都「クリエイティブの可能性」)で柳瀬武彦くん、陶國直孝くんが駆けつけてくれました。斎藤圭吾(dd)も合流し島津裕介(dd)と電話でプロジェクト名、想いなどを文章化していきます。土曜日の自宅のリビングが作戦指令本部と化しました。

プロジェクトが決定しすぐさま緊急現地視察から帰って来たさとなおを待ち、要件定義とドラフトデザインをもとに株式会社looopsで初顔合わせ。みんなここで会うのがはじめてですが、それぞれの顔は緊張切味。自分が今ココにいることの重要性をひしひしと感じているようです。大手通信の中核を担う人、ソーシャルメディアの先端をいく人、スーパープログラマー(人はそれをハッカーという)を束ねる人、コトバの達人、それとなぜかボク。それぞれが究極のプロフェッショナル。いつもはまったく違う場所でそれぞれが活躍しているわけで、考え方も仕事の進め方もスタンスも違うはずです。さとなおの持っている情報とバランスと緊急性などを全員が共有し、次々にルーズボールが上がらないような仕組みと役割が組まれていきます。

そこで、ボクの役割も決定しました。松本純一(dd)にロゴ制作を、圭吾が作ったサイトデザインを若林幹太くんがスーパースピードでプログラム/コーディングしていきます。同時に沖縄に住む三森努くんがサーバをダブルスタンバイ。佐藤澄子さんと辻野ユタカさんが考えられないくらいのスピードでコトバを紡いでいきます。なんと、英語も同時進行です。さとなおから何度も電話が入ります。電話は「修正か方向転換」を示します。誰もNOを言いません。瞬時に修正案を組み上げて行きます。世界中からの情報を集積場所としてFacebookのサイト(みなさんも、アイデアや要望があったらここに情報展開願います)もlooopsのメンバーによって立ち上がりました。同時に、全国から集結した十数人のスーパープログラマーたちは、床に座り込み菓子パンを頬張り、先日のニュージーランド地震の際にも多方面より活用されたクラウドソーシングツールUshahidiをベースに目にも留まらぬスピードでキーボードを叩いていきます。まるで映画『サマーウォーズ』を観ているようでした。

まさに怒濤のスピードでした。究極のチームワークでした。思い返せばたった一回のこの会議が最初で最後の全体会議。あとは、フェースブック、メーリングリスト、Skype、固定電話、iPhone、viber、使えるものは何でも使っていくつもの現場が情報共有しました。10日間で2000件に及ぶメールのやり取り(他も含めますが)それを捌くだけでも大変でしたが、みなさんもご存知の通りインターネット環境が耐え続けてくれて、ボクらの情報共有を支えてくれたのです。

それから10日の間、それぞれがぞれぞれの役割を全うして、3月22日15時「助けあいジャパン」サイトが無事公開されました。僕らは永遠のβ版と呼んでいます。ずっと、研鑽を重ね、収斂されていくのでしょう。今回生まれたこの子は、成長し続けて、世界のどこかで次は役立つのだと思います。

これから

被災者の心と生活の段階は、いくつかに分かれるそうです。

1.救援ピリオド
2.避難生活ピリオド
3.生活再建ピリオド
4.復興まちづくりピリオド

まだまだ被災地は救援ピリオドです。余震、原子力施設も、予断を許さない状況が続きます。世界の受け止め方、経済がどのように推移するかわかりません。ドリームデザインは30人の小さな会社です。ボランタリーで自分も会社の数人と仲間と動きはじめたはいいけれど、正直、会社のキャッシュフローはもつだろうか(あっ、一年ぐらいは大丈夫ですから)とか、でしゃばった行為ではないのか、などの心配が後からドッと押し寄せました。とくに自分はプロデューサーです、スタッフや友達を誘わなければ自分一人じゃ何もつくれないのです。そういった罪悪感と向き合いながら、まず、家族、社員、仲間と徹底的に話し合うことからはじめています。

このプロジェクトを通じて本当に多くのことを学びました。そしてまだまだ学ぶのでしょう。何よりも日常の小さなしあわせに感謝をするとともに、このプロジェクトに集結した多くのメンバー、企業の方々、そして「石川さん、行っちゃってください。仕事は僕らにまかせてください」と気持ちよく送り出してくれたドリームデザインの役員やスタッフに感謝いたします。

こうして迷いながら突き進んでいたボクがTwitterでふとつぶやいたら瞬くあいだに広がったコトバがあります。「M9.0 世界最大級となったのか。じゃ、今後の復興のためのエネルギーも愛も、世界最大級にしなくちゃ。」世界最大級の復興とは、もはや復興とは呼ばないのでしょう。新しい日本です。

3.11に、地盤もずれましたが、時代もスリップしたのだと感じています。『1Q84』や『FLASH FORWARD』の世界のように。3.11以降の時代をわたしたち日本人がどう受け止め、どう戒めて、どう切り拓くのか。わたしたちコミュニケーションの担い手に託された使命を真摯に受け止めようと思います。

このソーシャルな時代では、小さなこともたくさん集まれば、大きなエネルギーに替わることがわかってきています。風船だって、100個集まれば女の子を空に浮かべることができるかもしれません。遠くアフリカでは民衆が革命までを実現させたのは記憶に新しいところです。ボクはひとりの日本人として、クリエイターとして実行していきたいと思っています。

みなさま、勇気をもって、共に進んでまいりましょう。

最初にこの文章があったから

上にも書きましたが、最初に島津裕介(dd)が書いたプロジェクトの指針のようなものを今読み直しました。あの時、この文章が作戦指令本部のなかまを勇気づけてくれたことを想いだしました。長くなりましたが、ぜひ一読ください。

助けあい…

過去、いかなる困難な局面においても

日本人は助けあう心でそれを乗り切ってきました。

たった一度も、くじけたことはありません。

それを、私たち日本人は誇りに思っていいはずです。

いま被災地の方々は

未曾有の事態に直面しています。

私たち日本人の

お互いを思いやり助け合う精神性が

再び試されています。

困ったときは、助けあう。

こんな当たり前のことを

当たり前にできる

日本という国を本当に心から

誇りに思います。

日本は必ず立ち直ります。

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